ドリカムとの出会い |
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ここでは、私とドリカムの出会いから、初ライブまでを紹介します。 |
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いわば私のドリカム歴「プロフィール」です。 |
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ドリカムとの出会い |
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私が、ドリカムを意識させた曲は、
平成4年(1992年)度前半(4月〜9月)に放送された(多分そうだったと思います。)、
NHK朝の連続ドラマ「ひらり」のオープニングソングとして流された「晴れたらいいね」。
それまでも富士フイルムのCMに「Eyes to me」が流れていましたが、あまり意識していませんでした。
「あ、この曲いい!」って思っていたものの社会人兼大学生で、その上母親も養っていたため、
CDを手に入れなかったのでした。(と言うより、CDをかけられる環境になかったが正解かな・・・)
しかし、職場の同僚がドリカムのファンで、
一緒に外勤したとき1本のカセットテープを取り出しお気に入り曲を流していました。
そのとき流れていた曲が、「うれしい!たのしい!大好き!」と「笑顔の行方」
(そのほかに何か流れていたけどよく覚えていない・・・)。
その上同時期に姉から、ボーカルの吉田美和さんが私の高校の先輩であることを聞かされ、
いやがおうにもドリカムを気にせずにはいられなかったのでした。
それでも、テレビに出ていれば必ず見ていた程度で、CDを買ってまで聞く気になれなかったのでした。
しかし1995年にCDチェンジャー付きの中古の車(前に乗っていたレガシィ。)を買い、
CDチェンジャーを宝の持ち腐れにしないため、初めて買ったのが「7月7日。晴れ サウンドトラック」。
その年同時に「LOVE UNLIMITED∞」が出ましたが、
「ドリカムの曲が一通り聞ける」のでこちらにしました。(この選択が正解だったような・・・)
それが、「ドリファン」への1歩だったと思います。
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ドリカム好きからPP(POWER PLANT-DREAMS COME TRUE公式ファンクラブ-)会員へ
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その後、「WONDER3」からアルバム買いを始め、
6連奏CDチェンジャーの威力を発揮すべくアルバムを買い続けました。
そして、「SING OR DIE」が出たとき一つの大きな転機が訪れました。
18年間女腕一つで私を育て上げ、その後も私の後ろ盾となってくれた母の死です。
それまで、年の離れた姉が結婚してから十数年、
母一人子一人という特殊な生活環境で育ったため、
母が寂しい思いをするであろうことはできませんでした。
しかし「母の死」によりそれから解き放たれ、
今度は自由にドリカムのファンを続けることができるようになりました。
1999年にドリカムの4年に1回のお祭りである「DREAMS COME TRUE WONDER LAND」があったもののが、
仕事が忙しく「夏の夢」も「冬の夢」も行けなかった。
それで意識するようになったのが、PPです。
だが、元来腰の重い私には、
PP会員になる手続きが面倒で、見合わせていました。
そこにもう一つの転機が訪れました。
2001年10月のPPへのオンライン加入開始です。
既に、メール配信サービスに登録していた私は、
公式HPで受付が開始されるや否やPPに加入しました。
(その後、PP事務局から優待加入の案内が届いたが、時既に遅し・・・) |
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工事中 |
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